Bridge to the Better

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築90年目の母屋

ゴールデンウイークは、実家の岐阜に帰っていました。
3泊したのですが晴天に恵まれ、家族ともどもリフレッシュできました。
お盆と正月に帰省することが多いのですが、なにぶん内陸の岐阜は、夏は酷暑で、冬は極寒というなんとも言えないシブい気候です。
ただ、ゴールデンウイークの季節は毎年、文字通り春らしさを満喫できる素晴らしい寄稿が続くので、子供が生まれてからは可能な限り帰省するようにしています。(けっこうお奨めかも、ゴールデンウィークの岐阜観光。)
今年も何とか休みを確保できたので、岐阜に戻りました。
例年通り、山や川、田んぼのあぜ道を散歩したり、地元のレストラン訪れたりしてゆっくりすごしたのですが、唯一今年特別だったのは、今年、築90年目を迎える母屋に泊まるのが最後だった点です。
この夏に隣接する敷地に両親が新居を建て、旧い母屋はお役御免となります。
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梁や大黒柱などは、明治前半か江戸時代終盤に建てたであろう先代の母屋のものを流用しているらしく、そのぶん大変立派ではありました。
部分改築を繰り返して、だましだまし使ってはきましたが、昨今の地震に対する備えの意識の高まりや、冷暖房の効率の悪さ、そして、これから必要となるであろうバリアフリーには一切対応できていない、などの理由から今回両親が建て替えを決断した次第です。
冬には家の中で息が白くなったり、家の中で風が吹いていたり。
昭和元年の竣工だという今の母屋は今年で90年目だそうで、大正5年生まれだった亡き祖父や、昭和20年生まれの父が何十年と暮らした家ですし、僕自身はこの古い母屋には3歳から18歳まで住みましたが、少年時代のすべてをすごした、それなりに思いで深い家でした。
手元の家計図を見ると、四国から岐阜に流れてきた段階から数えると僕が26代目らしいのですが、21代目から今の母屋に住んだことになります。
そんなことを考えると、ついいろいろなことに思いをはせると同時に、家(House, Familly)を守るってそれなりに労力が要るし、それだけに貴重なことなんだな...と普段あまり考えもしないことを考えたりもした2014年のゴールデンウィークでした。
お盆に戻るときにはもう、更地になっているはずです。